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秋の夕暮れに銀の月。 大きく傾いた夕日が、山道に長い影を描く。 銀の三日月は、夕焼けを反射して暖かい色にきらめいた。 頭の両側で結んだ髪が揺れる。 すっかり涼しくなった。 袖や襟から秋の風が入り込み、清々しい気持ちにさせる。 銀の月が昇る。 自然と気持ちが昂ぶった。 遠くから木々の揺れる音が近付いてくる。 強い風が須勢理の全身を撫で、通り過ぎた。 巫女装束がはためく。 袖や裾が落ち着くと、自信に満ちた微笑みを浮かべた。 山の神も、私のことを賞賛しているのかしら? 掲げた月読剣を下ろし、鏡の代わりにして身だしなみを整える。 結んだ髪に差した花を確認する。 満足そうに微笑むと、道の先にある一軒家を見上げた。 ──あれね。 最近リフォームしたばかりの一軒家だ。 ──あそこが今回の仕事場。 須勢理は気を引き締めた。 築七十年以上の古い家だが、新築の様に綺麗になっている。廃墟同然になっていたのを、持ち主がリフォームしたのだそうだ。 子供の頃住んでいたが、三十年前に両親の事情で引っ越しをした。以来、ずっと放置していたそうだ。 それがこの度、仕事の都合で秩父に戻ってくる事になり、それならば思い出の家で、という事になった。 ……と、 そして、この家に魔怪が取り憑いているとも。 入居予定日が迫っているので、急ぎで対処したい。 それは分かった。 にしても、急過ぎる。 もう少し、こちらの都合というものも考えて欲しい。 今日は日曜日だ。 夕日に滲む山の稜線を見やり、かるく息を吐く。 今頃、学校の友人達は何をしているだろうか。 「ごきげんよう、出雲さん」 「ごきげんよう緑川さん。あら、伊藤さんも、何かご用かしら?」 「実はあたしたち、あ、あと子安さんもだけど、今度の土曜日に遊びに行こうかと思っているの。それで出雲さんもどうかな? と思って」 「それは面白そうね。どちらにお出かけの予定なのかしら」 本当は興味はなかった。社交辞令でそう言ったまでだった。 須勢理は女子高に通っていた。 特に神道系というわけではない。多少裕福な家庭の子女が多いだけで、何の変哲もない私立高校だ。 御劔山から離れている事もあり、学校には御劔の人間はいない。出雲須勢理が何者であるかなど、知るはずもない。ここでは須勢理は、田舎の金持ちの娘というだけだ。 それが楽でもあり、不満でもあった。 十種の剣として恥ずかしくない態度を、と気を遣う必要もない代わり、誰も須勢理を特別扱いしない。 特別な力で人々を救う御劔神道の中でも、自分は選ばれた人間だ。由緒正しき出雲家の跡取りであり、十種の剣の月読剣を預かる身なのだ。普通の女の子扱いされるのに不平を感じるのは当然ではないか。 呑気な笑顔で雑誌を抱いている級友に、そういった事情を理解しろというのは無理な話だということも、分かってはいる。 そんな須勢理の気持ちを知るよしもなく、週末のお出かけプレゼンは続いていた。 「シネコンで話題の映画を見て、渋谷や原宿で買い物をして、それから時間があったらお台場へ!」 「大きなショッピングモールと、あ、それとフジテレビ! 海とレインボーブリッジの眺めも良さそうだしねー」 「ジョイポリスっていう大きなゲームセンターみたいな、遊園地みたいな所もあるのよ。そこのホラーアトラクションが話題なの!」 「……まあ」 不覚にもときめいた。 普段、御劔神社の祭式やお 学校の友人と、はやりのスポットに出掛ける機会など、まずない事だ。 見聞を広める為に、行って、みよう、かしら? そう思いかけた時、携帯電話が振動した。 まるでタイミングを見計らったかの様な、注連沢陸からのメールだった。 木の枝から烏が飛び立った。 羽ばたく音と鳴き声が須勢理の意識を引き戻す。 夕日に染まる山道が瞳に映る。 ──いけない、いけない。せっかく清浄な気持ちになったところだったのに。何をしている、出雲須勢理。 須勢理は軽く頬を両手で叩いた。 こんな事ではまた 大きく深呼吸。 颯爽と一軒家に向かって歩を進める。 友人達は遊園地のお化け屋敷を堪能しているかも知れないが── 須勢理は門を開けた。 「こちらは本物ですものね」 三日月の形をした月読剣を構える。 預かってきた鍵を開け、土足のまま家に上がった。 狭い家。 須勢理は素でそう思った。が、実際にはかなり広い家だ。 玄関だけで四畳半はある。 そして廊下の幅が広い。三人すれ違うのも簡単だろう。 廊下は真っ直ぐ続いている。突き当たりで左右に分かれていて、右は襖、左は床から天井近くまでの大きな窓だ。いかにも作ったばかりといった雰囲気の、こぢんまりした和風庭園が見える。 まるで箱庭ね。 あそこには魔怪の気配は感じられない。 廊下の先を鋭く見やる。 やはり、家に取り憑いているのか。 辺りの気配を探りながら進んだ。 板の間の廊下は、みしりともいわない。直径一メートルはある巨大な月読剣と須勢理の体重、その二つを余裕で受け止めている。 右側の襖を開けた。 中は二十畳はある座敷だった。 新品の畳の、いい香りがした。 四隅の柱は磨き上げられた、太く黒光りするものだった。天井は高く、中央に囲炉裏があり、元々の作りを生かした部屋だということが伺える。須勢理は用心して、部屋の隅々に視線を走らせる。 大抵、何かが居る時は、胸の奥が絞られる感じがする。それが須勢理にとっての危険の合図だ。 だが此処にはそれが感じられない。 部屋に足を踏み入れた。 まっすぐ歩き、正面の障子に手をかける。 するすると開けると、こちら側にも庭があった。生け垣の向こうに夕焼けに染まった山々が見える。 早くけりを付けないと日が暮れる。出来ることなら早く片を付けたいものだ。明日にはこの家の持ち主が引っ越してくる。 先祖代々御劔の信者で、現在の主人も毎年結構な額を寄進しているという話だ。 ──そんな事は、どうでも良いわ。 須勢理は左手の壁に近付いた。取っ手に指をかけ、軽く力を入れると何の抵抗もなく横に滑った。木で出来たスライドドアだ。 その向こうは洋風のリビングになっている。境目が無くなって、三十畳以上の大きな部屋になった。 魔怪の姿は見えない。 おかしいわね、いなくな── 胸の奥が急激に縮まる気がした。 息が詰まる。 背筋に悪寒が走る。 反射的に振り返った。 姿勢を低くしながら、月読剣を前に構える。 息を潜め、臨戦態勢のまま十数秒。動くものは何もない。 ──気のせいか? いや、間違いない。強烈な視線を感じた。 まるで心臓が止まるかという程の、強烈な気配。 それも一つや二つではない。相当な数だ。 いったい何匹いるのかしら? だが、そんなに沢山いるという話ではなかった。 下調べによると魔怪は一匹。恐らく家に憑くタイプで、中位上級程度の相手という事だ。 誤差を考えれば、上位も有り得る。 便宜上、御祓いの難易度によって、魔怪を上位、中位、下位の三種のカテゴリーに分けている。その中で更に上級、中級、下級という区別がある。 須勢理はお目にかかった事はないが、上位の上に特位、更にその上に超位という難物も存在する。 中位上級なら、辛うじて何とかなる、と思う。 いや、十種の剣であれば倒して当然。倒さねばならない。 去年、正式に月読剣を継承したが、今までは比較的くみし易い相手を回してくれていた気がする。 須勢理にはそれが気に入らなかった。 鬼ごっこのお味噌にされているようで、馬鹿にされている気がしてならなかった。 だから失敗する訳にはいかない。 自分は由緒正しき出雲家の跡取りで、月読剣の剣持ちなのだ。 いつまでもお荷物扱いでは、信者達に何を言われるか分かったものではない。家名に傷が付く。 須勢理は身をかわす様に、素早い動きで廊下に戻った。 辺りの気配を覗う。 物音一つ、妖気の欠片もない。 今回の下調べは 須勢理は自分に言い聞かせる様に、心の中でつぶやいた。 下調べといっても、意外と奥が深い。担当する者の技量で精度に大きな違いが出る。直接闘う事をしないので、神兵や剣持ち見習いが行う事も多いが、専門職が行うのとでは信憑性に天と地程の差が出る。砂土原家の格式は低いが、魔怪の下調べの技術に特化した家だ。決して主役になる事はないが、常に良い仕事をする。 それだけに、今感じた複数の視線は須勢理を不安にさせた。 話と違う。 一体どういう事なの? ここは一旦退くか? いやいや、そんな事出来るはずがない。 何と言い訳をするというのだ。 月読剣を握る指に力が入る。 倒さなければならない。何としても。 背中に視線を感じた。 指を押し当てられた様な、嫌な視線だ。 振り向きながら、月読剣に力を込める。 自分の中を流れる力を月読剣に託す様なイメージ。そして、その力が自分と月読剣を強い力で結びつける。 そして須勢理は月読剣を自在に操る事が出来る。 月読剣が指から離れた。 ──えっ!? 須勢理は大きく戸惑った。 月読剣が飛んでゆく。 だがどこを目指したらいい? 相手が見付からない。 そんな馬鹿な。 息が止まった。 自分の背中に、何十という視線が注がれているのを感じた。 転げる様に前に飛び、懐から御札を抜く。 月読剣が急速に弧を描き、戻ってくる。 考えるよりも先に、月読剣に助けを求めていた。 月読剣は頭上を走り抜け、目の前の壁に突き刺さる。 息が苦しかった。 全力疾走した様な、激しい呼吸を繰り返す。 はっと我に返り、慌てて月読剣にすがりついた。 震える手で壁から引き抜き、敵を探した。 何なのよっ! まったく! 涙が滲んできた。 どうしよう、どうしよう、どうしよう。 頭の中を問いかけがぐるぐる回る。 駄目だ。 もう帰ろう。 でも、帰ったら菊理様に何て言われるだろう。 御劔で最も優れた術者である菊理様。 菊理様は……。 「相手も自分を怖がっているのよ」 菊理様は優しげな微笑みをうかべ、たおやかに仰った。 「でもそれは、菊理様がお強いからでは?」 「いいえ、そうではないわ、須勢理。どんな魔怪でも、最初はこちらを警戒する。決まった反応を返すだけの、自然現象や霊障に近い魔怪は別ですけれどね。そして、相手が無害と感じれば興味を失う。獲物になると判断すれば攻撃してくるわ。そうでないとすると……まず逃げるわね」 「まあ、魔怪はやはり知性のない、低俗な生き物なのですね」 「ええ、だから倒すのが難しいのよ」 「どういう事ですの?」 「弱い魔怪はすぐに逃げてしまうから」 菊理様はゆっくりと、こちらに考える時間を与えながら喋る。 「よいこと? 須勢理。まずは魔怪に気取らせるより先に、こちらが相手の存在に気付く事」 その言葉を反芻する。 すっかり忘れていた。今回は明らかに失敗だ。 「もし気付かれたら、一刻も早く相手の正体を探る事。そして、自分をどう見せるのが得策かを考えなさい」 これも駄目。 一体、自分は何をやっているのだ。 須勢理は激しい自己嫌悪を感じた。 先ほどから失態続きだ。強い魔怪なら、既に殺されていても不思議ではない。 ──あれ? という事は、この魔怪は弱いのか? 何故、自分に手を出さない。 立ち上がって、壁に身を寄せた。 身の毛もよだつ視線。最初はそう感じた。 しかし、よくよく思い出してみると、強烈だったのは最初だけで、以降はそれ程でもなかったのでは? 壁から離れ、廊下の中央に立つ。 自分が今相手をしている魔怪は、自分の事を見ている。恐らくこの家に入った瞬間から。 廊下を進み、突き当たりを右に曲がった。左側に八畳間程の茶室がある。 魔怪は、一体どこから自分を見ているのだ? それに報告にあった一匹と、今感じている複数の視線。それはどういう事なのか? 茶室の中を覗いた。 奥の床の間以外は、三方を障子に囲まれた部屋だった。 壁に耳あり障子に目あり……か。 須勢理は思いきって部屋の中に入る。 ぞわっと背中に寒気が走った。 しかし、さっきよりも落ち着いてその気配を受け止める事が出来た。 三方より感じる視線。 懐より御札を静かに取り出す。 「 振り向かずに御札を背後に投げる。 反応はない。 須勢理はゆっくりと振り向いた。 三方の障子に、びっしりと目が張り付いていた。 幾百の大きく見開かれた眼球が、ぎろりと須勢理を見つめている。 いや、正しくは須勢理の足下に落ちている御札を睨み付けていた。 ── こんな、雑魚が。 須勢理は酷薄な笑みと共に、月読剣を投げた。 御札の効果が切れた。 数百の目が一斉に動く。 月読剣は弧を描き、三方の障子を真横に切り裂いた。 目々連は血走った目で月読剣を追う。 しかし、なすすべもなく、両断される己を見つめていた。 目が飛び出し、眼球が畳に落ちるのではないかと思えた。 須勢理の手に月読剣が戻る。 ──やった。 会心の笑み。 足下には、ただの古ぼけた障子が残骸となって転がっていた。 ■■ 次のページへ ■■ |
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