『火車』
「しっかし、本当に人が多いよな!」
行擦大介がその言葉を聞くのは、今日五回目だった。
「こんなにでかい駅も初めて見たし! ってゆーか、駅の中にこんなに店があるのもおかしくねえ? なんかデパートとかさ、そっちの仲間だよな。どっちかってゆーと」
東南北は行き交う人々を見つめ、興奮した口ぶりで語った。
「いや、それに綺麗だしオシャレだし。お山の最寄り駅なんて、そば屋と土産物屋くらいしかないのにな。あ、西武秩父の駅は店が結構あったよな。駅の中じゃないけど」
行擦は秩父駅前の土産物屋と食堂を思い出し、今いる東京駅との差に気が遠くなった。
「まったくだな」
行擦は溜息を吐くと、人混みから逃げるように視線を泳がせた。しかし、どこに視線を向けても、人、人、人。人波が強制的に頭の中に流れ込んでくる。
またも気が遠くなりそうになった。
「おい、大介。のんびりしてる暇はねーぞ。仕事だ仕事」
うるせえ馬鹿野郎。さっきからフラフラしてんのはてめえの方だろうが。
行擦はそんな言葉を飲み込み、しかめっ面で額に手を当てた。
「なんだよ、頭でも痛いのか?」
「まあな。さっさと仕事を終わらせたい」
「じゃあちゃんと俺の言うことを聞くんだぞ。お前の面倒を見つつ仕事をこなせってんだから、陸様も大変なこと頼むよなー。なあ?」
返事のない行擦をいぶかしんで、振り返った。
「どうした? そんなに頭が痛いのか?」
「……ああ。かなりな」
行擦の頭の中では、御劔神社での出来事が思い出されていた。
「東京駅ですか?」
「そうだ」
座卓を挟んで、注連沢陸と向かい合っている。分厚い一枚板の天板に、書類の山が幾つもあった。
「先月あたりから、東京の山手線沿線で正体不明の炎が目撃されている」
「炎……ですか。それは何なのですか?」
「それをお前等が調べてくるんだ」
行擦は縮こまった。陸様に馬鹿だと思われたかも知れない。意味のない発言をしてしまった事を後悔した。
「調査だけとはいえ、南北だけでは心許ない。あいつは初の遠征で張り切っているだろうし、浮ついた気分にもなるだろう。そうなると、何をしでかすか分からん。お前はお目付役として同行し、必要であればお役目を果たせるように取りはからえ」
行擦にとっては甚だ不満であったが、逆らえるはずもない。承知の旨を伝え、部屋を出ようとした。
「今回の仕事は実質、お前にかかっている。頼んだぞ」
「……っ、はいっ!」
それが昨日の事だった。
今朝八時頃に御劔神社を出て、東京駅に着いたのが十一時半。今はもう正午を回っている。今日は日曜日だし、平日よりは乗客が少ないのではないか、という話だったが、とんでもない。まるっきりの誤算だった。
とにかく人が多くて、これでは結界がまったく意味を成さない。神職服ではなく、平服で来て良かったと行擦は思った。
「さーて、どっから調べるかなー」
南北は駅に備え付けのパンフレットを広げた。構内図というよりは駅の商店街のガイドである。それが行擦には、ひどく呑気に見えた。
「方針を決めて、端から調べた方が良いんじゃないのか?」
行擦の提案に、南北は敏感に反応した。
「うるさい! お前は余計な口出しするんじゃねえ!」
「じゃあどうするんだ。もう三十分以上もフラフラしてるだけじゃないか。これだけでかい駅だと、端から潰さないと何処を調べたかも分からなくなりそうだ」
「だから、てめえはそんな事考えなくていいんだよ! ちょっと黙ってろ!」
行擦は溜息を吐いて、近くの壁により掛かった。
向かい側のショーウィンドウに自分たちの姿が映っている。
Tシャツにフライトジャケット風のブルゾン、それにジーンズ。
まあ、普通の格好だよな。別に東京だからっておかしくないよな。
行擦は確認するように、自分に問いかけた。
自分の隣で地図とにらめっこしている南北は、フード付きのコートにカジュアルなシャツ、アウトドア風なズボンをはいている。行擦はよく知らないが、一応有名なブランドの物らしい。
ちなみに、行擦のTシャツは御劔神社のキャラクター商品だった。御劔神社の眷属であるニホンオオカミの姿が描かれていて、行擦は気に入っている。
「よし! それじゃこっちの端から順に調べていくぞ!」
結局そうするのかよ。
そう行擦は心の中で呟いてから、南北の後に続いた。
それから二時間が過ぎた。
さすがに二人とも腹が減ってきたので、駅弁を買って駅のベンチで食べることにした。ベンチといってもホームではなく、地下一階にある銀の鈴広場と呼ばれる待ち合わせスペースである。
「しかし、それらしい手掛かりが、まったくねーなー」
とんかつを口にほおばりながら、南北が愚痴を漏らしている。
「正体不明の……謎の炎か」
行擦は、牛肉弁当に伸ばした箸を止めて考えた。
「炎がらみだとすると、正体は何だ? 大したことがない相手なら、狐火や火走りあたりか」
「どーだろーな? 炎ってゆーと、やっぱ片輪車とか火車とかじゃねえの?」
もしそうなら、俺たちが出る幕じゃない。行擦は漬け物をかじりながら思った。相手が分かり次第、陸様に連絡をした方が良い。南北や自分だけでは、大物は相手に出来ない。
『乗客の皆様に申し上げます』
突然始まったアナウンスに、二人は天井を見上げた。
『只今、有楽町駅構内におきまして人身事故が発生しました関係上、山手線が止まっております。運転再開の予定は現在立っておりません』
行擦と南北は顔を見合わせた。
人身事故?
「おい!」
「行くぞ!」
弁当を手にしたまま、二人は弾かれたように駆けだした。
「山手線って言ったな!」
「ああ、でもどっちだ? 上りか下りか?」
「知るか、そんなん!」
緑色の番号が目に付いた。
「あれでいい!」
乗客を避けながら角を曲がる。
エスカレーターは無視し、三段飛ばしで階段を駆け上がった。
ホームに上り着いた瞬間に、目の前を炎の塊が通過した。
火の玉だった。
空中に浮かんだ火の玉が、通過列車の様にホームを駆け抜ける。
炎は弾丸のように線路の上を飛んで行った。
「……ヒトダマ」
南北は呟くように言った。
「正体は、あれか」
怪異も、さっきのアナウンスも。
魔怪ではなく、事故で死んだ人間の霊魂。それを、たまたま霊感の強い人間が目撃してしまった、ということか。
南北は空気がしぼむように座り込んだ。
「なんだよ〜、さんざん探させておいて、こんなオチ? もう、勘弁してくんねーかなあー」
「そんな疲れ切った声を出すなよ。あれは今さっき死んだ人の心なんだ」
南北は何かを言いかけて止めた。
「それより陸様に連絡した方がいいんじゃないのか?」
はっと気が付いたように南北は上着の内ポケットから携帯電話を取りだした。
「なに? 人魂?」
注連沢陸は、自室で電話を受けていた。相手は東京に調査に出していた、南北だった。
「……そうか、分かった。ご苦労だった」
「あ、ありがとうございます!」
南北の嬉しそうな雰囲気と共に、電話を切ろうとした、が。
「ちょっと待て」
「はい?」
「菊理殿と須勢理が、休暇を兼ねて東京に行っている。丁度、銀座にいるはずだ。荷物持ちを手伝ってやれ」
「は!?」
「どうかしたのか?」
「え、あ、いえ……その、はい」
ごにょごにょした南北の返事を聞くと、注連沢は電話を切った。
人魂が線路に沿って飛ぶだと?
何事か思案すると、机の上に置いてあるノートパソコンを開いた。
──一応、あいつらを当てておくか。
メールソフトを立ち上げ、メールを書き始めた。